ㅇ 展示名:大邱近代絵画の流れ
ㅇ 展示区分 : 常設展
ㅇ 展示場所:大邱美術館4·5展示室
ㅇ 参加作家:40人
ㅇ 展示構成: 大邱近代絵画を代表する所蔵品60点余りおよび美術アーカイブ
大邱は「近代美術の発祥地」と呼ばれてきた。 大邱と慶北地域には昔から意識が孤高で裕福な士大夫が多く居住したが、彼らは日帝強占期に移行する過程で自らの啓蒙を通じて支配に抵抗しようとした。 芸術は新文明の一環として学習され、この時芸術家はすなわち近代的知識人だった。
《大邱近代絵画の流れ》は、タイトル通り、近代美術で大きな比重を占める絵画を中心に大邱の近代美術史がどのように展開されたのか通時的観点から考察する。 日帝治下の状況から解放以後の乱れた状況に至るまで、難しくて苦難な環境の中で漸進的に拡大していった芸術活動の重要性は技芸の範疇に限定できない。 この時期、芸術家が獲得していった近代的な見方は、それ自体で時代像を反映しながらも、それを克服しようとした展望だったためだ。
このような観点から展示は計4枚で構成されている。
第1章では、西洋画の受容が行われる過程が提示されている。 校南市書画研究会を皮切りに、大邱美術展覧会、碧東寺、大邱美術史などにつながる活動の中で、近代書画から透明水彩画へと素早い移行が発見される。
次の2章では、本格的な大邱の近代絵画が繰り広げられる。 『朝鮮美術展覧会』で古典主義と印象主義を折衷した日本式外光派と「朝鮮郷土色」が凡例化される。 これはよく自然主義傾向として通称され、大邱では美術団体「郷土会」がここに含まれる。 反面、カープに加担したイ·サンチュンやイ·ガプギなどは現実主義的芸術を通じて抵抗を試みるが、日帝の抑圧によって悲劇的な運命を生きた。
第3章では解放期から韓国戦争まで、苦痛で混乱した政局の中で制作された作品を集めた。 この時期の製作環境は非常に劣悪だったが、戦争の被害を直接的に受けなかった大邱には各地から多様な避難作家が集まり、観戦を中心に横行した自然主義を抜け出し多様性を確保する契機にもなった。
最後の4章では、前後に現れた新傾向を短く扱う。 日帝植民治下と韓国戦争をする過程でも後進養成に努めてきた努力が新世代という過失につながった。 新世代は30年余り続いた花壇の規範からより自由であり、主導的にその遺産を検討し、また選択した。 この中で個人の主観性が強調された作品が次第に出現することになる。